(1)まず目黒区に関する資料の河川工学に分類されるものを調査
『江戸・東京の川と水辺の事典』(柏書房2003年刊 B10356543)p184に「祐天寺を含む小字名の『谷戸前』から流れ出した小流で、これも小字名の『田道裏』(現在の目黒二丁目、区民センター公園付近)で目黒川に合流した。」、p405に「目黒区中目黒五丁目の祐天寺の南、小字名『谷戸前』付近を水源として同区目黒四・三丁目を東に流れ、目黒二丁目の区民センター公園付近で目黒川に注ぐ。現在は暗渠化された。」と記されている。
(2)次に、目黒資料で内容細目に「谷戸前川(谷戸川)」を含む資料を調査
『みち』(B10750094)1981年6月の記事では「かつて谷戸前川は、駒沢通りの祐天寺二丁目交差点の交番わきから、祐天寺裏を通って目黒川に注ぐ公共溝きょだったが、昭和50年、下水道の本管とするため、ふたをされた」「昨年になって、環境整備計画に基づき舗装し直され、緑道として区民の憩いの場となった」とある。
『目黒区の川と用水・坂の今昔 改訂版』(B11746401)が『目黒の川』から引用した図によれば谷戸前川は「上目黒台」と「下目黒台」に挟まれた谷を流れていたことがわかるが、あまりに簡単な図であるため川の存在は確認できるが流路の確認はできない。
『郷土目黒 第三十二集』(B10750240)p82(平山勝蔵「目黒の古い庭における芝生考」)には、現在の中目黒五丁目12番から20番のあたりに「行楽地・自然園」が大正時代に存在し、この自然園と祐天寺の森との中間には「低い谷戸田があって、そのまんなかを谷戸川が、西方から東方にかけて流れていた。谷戸川の水量は豊かで、しかも清らかであった。この流れは、周辺の田圃や洗い場や留池などを、豊かにうるおしていた。谷戸川の清流に並行して、谷戸前道が西方の五本木方面から東方のばくろ坂や目黒駅方面に通じていた」とある。この「谷戸川」は谷戸前川と同一とみなしてよいだろう。なお、「自然園」は現存する原町二丁目5番8号の「宮野古民家自然園」ではない。バス停「自然園下」が名残である。
なお、目黒区ウェブサイトの「文化財めぐり(中目黒コース)」では水源について「五本木あたりに水源を持ち、中町、祐天寺裏から中目黒、目黒と流れ、目黒区民センター付近で目黒川に注ぐ」と記載している。上記『みち』記載の祐天寺二丁目交差点付近の駒沢通り以北は五本木二丁目なので矛盾しない。
『水の都市江戸・東京』(B12230869)は第4章「郊外・田園」のp178からp185が「目黒川」の節だが、p178の図では中目黒五丁目が始点となっており、p180には「祐天寺あたりから流れる」とあるが、それ以上の詳しい記述は無い。
(3)「下水道」「地形」「暗渠」を主題とし、暗渠で探索
上記『みち』より暗渠化され下水道本管となったことが明らかなので、これらの分野で探索するといくつか情報があった。
『東京「スリバチ」地形散歩 2』(洋泉社2013年刊 B12237734)p121からp123には「水源は祐天寺南(小字名「谷戸前」)付近の旧目黒区立第6中学校(中央町2丁目)一帯の湧水とされる。祐天寺下で祐天寺2丁目交差点辺りから発する支流を合わせ、目黒区民センター公園(目黒2丁目)付近で目黒川に合流する。」「祐天寺下で流れは2筋に分かれるが、一方は、駒沢通りの祐天寺2丁目交差点まで幅の細い暗渠道が続く。」「もう一方の流れは、三角山公園下の中町通り当たりが流路と思われ、中町2丁目を過ぎて、谷頭は駒沢通り際まで遡れる。」とある。
『東京「暗渠」散歩 改訂版』(実業之日本社2021年刊 B13179438)p146~p149でも「水源は旧目黒区立第六中学校(中央町2丁目)一帯の湧水」とあり、流路を示す地図を掲載している。この地図によると、谷戸前川は祐天寺二丁目交差点付近を水源とする支流と鷹番付近を水源とする支流が祐天寺裏付近で合流し現在の谷戸前川緑道のコースを流れて目黒川に至っている。ここまでの資料から祐天寺二丁目交差点および旧第六中学校付近を水源とする流れが祐天寺裏付近で合流し目黒川へ向かうという、谷戸前川のおおよその流路を特定することができる。
さらにここで、東京都下水道局のサイトを参照したところ「下水道台帳」という地図が公開されていた。これによれば、祐天寺二丁目交差点から目黒川に流れる下水管があることが確認できる。暗渠化された谷戸前川である。
(4)古地図より暗渠化以前の流路を探索
『東京市15区近傍34町村番地界入 19 荏原郡目黒村全図』(人文社1986年刊 逓信協会 1911年刊の複製)は明治44年の地図だが、細かく複雑な流れが記されている。上記(3)にある「中央町2丁目一帯の湧水」も4つの輪を合わせたような不思議な形の池として確認できる。この「荏原郡目黒村全図」は目黒区立図書館ウェブサイト内「目黒資料のページ」の「古地図を見る」コーナーで電子版を閲覧できる。同コーナーにある電子版の古地図「目黒六か村絵図」(文化2年「目黒筋御場絵図」の一部)でも、祐天寺裏から目黒川に流れる川が記されており「谷戸川」の文字がかすかに読める。この古地図は国立公文書館デジタルアーカイブでも閲覧でき、こちらはより鮮明に「谷戸川」の文字が読み取れる。さらに祐天寺のほか、高幢寺、鎮護神という寺社の近くを流れ「小瀧ハシ」「鹽辛ハシ」という橋の下を経て目黒川に注いでいることがはっきりわかる。
『目黒区全図 昭和10年 上目黒、中目黒、下目黒、三田、駒場、自由が丘』(B10692458)(火災保険特殊地図)は、現在の住宅地図に近い詳細な地図であり、ここにも谷戸前川の流れが記されている。明治時代の『荏原郡目黒村全図』とは流れの形が異なる部分もあるが、現在と変わらない道が少なくないので、現在の住宅地図と比較して辿ることができる。
祐天寺裏から旧第六中学校方面への流れは、祐天寺二丁目に至る流路と異なり全てを現在の住宅地図に反映させるのは困難である。下水道台帳を参照しても古地図の流路と現在の道路・下水道とはかなりずれがあり道路・下水道整備により一部は消滅したのではないかと思われる。ただし中央緑地公園付近から水源とされる中央町(旧第六中学校跡)への流路は現在の道路とほぼ同じ形である。
(1)現地を歩いてみた
住宅地図と古地図のコピーを手に、目黒川との合流地点から暗渠となった谷戸前川の流路を2つの水源まで遡ります。
ア 目黒川との合流点を確認
「権之助坂」バス停で下車。目黒新橋から目黒川左岸を遡ると、間もなく反対側の岸壁に四角い吐口が見えてきました。これが谷戸前川の終着点で目黒川に合流します。
この吐口が谷戸前川と目黒川の合流点
イ 山手通りを渡って暗渠を辿る
古地図で確認した谷戸前川は、現在のテニスコートの下を通って区民センターの公衆便所脇を抜けて目黒区美術館前の道と交差し山手通りと交差します。
山手通りを渡り、大鳥神社交差点方面に少し進んだところで細道に入ります。多数のマンホールは暗渠の特徴です(『東京「暗渠」散歩 改訂版』 B13179438)。細道を抜けた先の十字路を越えてさらに奥へ進みます。進むほどに暗渠らしくなってきました。車止めも暗渠の特徴です。「川を埋め、蓋をした状態であることが多く、重量の大きな車両が乗り入れないよう」(『暗渠マニアック』B13565428)だそうです。
多数のマンホール

車止め