レファレンス事例紹介④

質問内容 

 現在、八雲中央図書館がある「めぐろ区民キャンパス」には、かつて東京都立大学があった。
都立大学がこの場所に誘致された経緯及び関与した人物、また、後に八王子へ移転するに至った経緯、及び大学移転後の跡地活用に関す
る地元の反応を知りたい。

回答の概要

1.東京都立大学の前身である旧制府立高等学校は、日本で3番目の公立7年制高校として、1929(昭和4)年4月に現在の千代田区内に開校した。
当時の東京横浜電鉄(現:東急電鉄)社長である五島慶太氏のあっせんにより、岡田衛氏、小杉鋼作氏が土地を提供し、開校三年後、荏原郡碑衾町(現:目黒区八雲)に新校舎が完成、移転した。
2.移転後40年を経過する1970年頃から校舎の老朽化、校地の狭あい性、キャンパスの分散により総合大学の機能が阻害されていたが、1991(平成3)年3月、ようやく八王子市南大沢に移転することができた。
大学移転に伴い、跡地利用にかける地元の期待は大きく、「区民のつどい」が結成され、行政と協議を重ね、現在の姿に至る。
3.大学は移転したが東急東横線の駅名は残り、駅名存続か変更かを決めるアンケートの結果、駅名は存続することとなる。

調査した内容

1.東京都立大学が目黒区に拠点を定めた経緯/関与した人物
(1)『旧制高等学校生の青春彷徨』(B12135242)P.41
旧制府立高等学校は設置当初、旧制府立一中(現:都立日比谷高校)の敷地(永田町山王台(現:千代田区永田町))内に間借りしていた。
移転候補地として挙がった場所、及び荏原郡碑衾町(現:目黒区八雲)に至った経緯の記載がある。
東横電鉄が街づくりのため、学校誘致に積極的であったと記載がある。
(2)『目黒の近代史を古老にきく』(B10750083)P.42
目黒区制50周年を記念し開催された「古老座談会」の記録。岡田衛「明治・大正・昭和の碑衾の歴史を語る」(座談会の第1回・第2回)
『東京都立大学三十年史』(B10749682)P.593
東横電鉄(現:東急電鉄)社長であった五島慶太氏の買収あっせんの労により、府立高等学校の土地が確保された経緯が記載されている。
(3)『東京都立大学三十年史』(B10749682)P.30
「開校三年後府立高校は、当時、杉の木立、竹やぶと坂道、そして農家と植木屋が点在する近郊の目黒・柿の木坂(府下荏原郡碑衾町)の新校舎 に移転した。」と記載がある。
(4)『東京都立大学五十年史』(B10163876)P.3
校名の変遷が記載されている。
既に設置されていた東京高等学校(官立)との混同を避けるため、「府立高等学校」とし、1943(昭和18)年7月1日都制実施に伴い「都立高等学校」に変更した(校名の変遷は東急東横線の駅名にも反映している)。
 
2.八王子市南大沢への移転/跡地への地元の反応
(1)『東京都立大学五十年史』(B10163876)P.75
校地の狭あい性が特に問題視されており、1960年代後半から校地獲得を要望する声が高まっていた。
1970年代に立川(基地跡地)移転計画が持ち上がったが、立川市からの反対により行き詰った。
1984(昭和59)年7月 多摩ニュータウン西部地区移転へ向けた基本構想計画策定への方針決定。
1988(昭和63)年8月 新キャンパス建設工事 着工
1991(平成3)年3月 全学移転完了
(2)『どーなってるの?都立大跡地 区民が語った記録集』(B10203439)「都立大跡地を考える区民の集い」の活動記録 P.1
「都立大跡地の“これから”は私たち目黒区民にとって、最も身近で、最も大きな、まちづくり・地域づくりの課題です。・・・区民自身の手で自主的に・・“区民のつどい”をご一緒に創り上げてみませんか。」以上の呼びかけにより地元住民が「都立大跡地を考える区民のつどい」を結成し、地元の要望をまとめ、行政と協議を重ねた。
 
3.駅名の変遷
(1)『回想の東京急行1』(B10077654)P.55
東横線の開通当時、住宅地は碑文谷(現:学芸大学)までで、柿の木坂周辺は畑と雑木林、竹林地帯であったとの記載がある。
『東京都立大学三十年史』(B10749682)P.593
都立大学駅は、学校名の変更に合わせ、駅名も変更された。
1927(昭和2)年8月28日(開通時) 柿ノ木坂
1931(昭和6)年7月25日府立高等前
1932(昭和7)年3月31日府立高等
1943(昭和18)年12月1日都立高校
1952(昭和27)年7月1日都立大学、現在に至る。
(2)朝日新聞
1999(平成11)年6月10日朝刊35面
東急電鉄は1999年、受験生などから「駅名が紛らわしい」という声が出ていたのを受けて、学芸大学、都立大学の両駅の地元である目黒区民に駅名変更に関するアンケートを行った。3分の2以上の賛成があれば変更する方針としていた。
1999年7月2日 朝刊 35面
6月30日に締め切ったアンケートでは、駅名変更に必要とした賛成票は3分の2に届かず、駅名は存続することとなる。

職員コメント(職員のひとこと)

現在は公園、図書館、体育館、多目的ホール等、区民の貴重な憩いの場となっているめぐろ区民キャンパスですが、かつてのこの場所の変遷について、思いを巡らせることができました。
これまでに都立大学に関するお問い合わせは複数あり、個別に調査・回答していましたが、今回、まとまった形でご紹介できる意義は大きいと感じています。
都立大学があった手がかりとして、敷地北側に、大学の門跡の一部が保存されています。
めぐろ区民キャンパス周辺散歩の際、ご覧になってはいかがでしょうか。
都立大学門跡の画像

調査した資料の一覧

No タイトル 著者名 出版者 出版年 参考ページ
資料1 目黒の近代史を古老にきく 古老座談会記録
目黒区郷土研究会/編著 目黒区守屋教育会館 1982 p.42~
資料2 旧制高校生の青春彷徨 吉松安弘 彩流社 2012 p.41~
資料3 東京都立大学三十年史   東京都立大学 1981
資料4 東京都立大学五十年史 東京都立大学事務局企画調整課 東京都立大学事務局企画調整課 2000 P.3、P.75~ 
資料5 東京急行電鉄50年史 東京急行電鉄社史編纂事務局/編 東京急行電鉄 1973 P.101~
資料6 回想の東京急行1 荻原次郎 大正出版 2001 P.55
資料7 どーなってるの?都立大跡地 区民がつどい、区民が語った記録集 「都立大跡地を考える区民のつどい」実行委員会/編  「都立大跡地を考える区民のつどい」実行委員会 1994   
資料8 都立大跡地を考える区民のつどい報告書   都立大跡地を考える区民のつどい  1994  
資料9 めぐろ区民キャンパス 目黒区/編 目黒区 2002  
資料10 東京都立大学移転関係資料
  東京都立大学事務局ほか 1983  
資料11  東京都立大学移転問題ニュース   東京都立大学評議会移転広報委員会 1985~1990  
資料12 地域に学ぶ
山崎憲治/編著 二宮書店 2003  
資料13 目黒区実施計画 平成元年度~5年度
東京都目黒区企画部企画課/編集 東京都目黒区 1989 P.35
資料14 目黒区実施計画 平成6年度~10年度 東京都目黒区企画部企画課/編集
東京都目黒区 1994  P41
資料15 都立大学駅周辺地区整備構想(素案)概要版 平成7年7月 目黒区都市環境部  東京都目黒区 1995  
資料16  構造調整対応診断(集団)都立大学地区商店街報告書 平成11年度 東京都城南地域中小企業振興センター/編 東京都城南地域中小企業振興センター 2000  P.11~22
資料17  PHOTO都立大学の50年
東京都立大学事務局企画調整課/編 東京都立大学 1999  
資料18 朝日新聞縮刷版 1999/6   朝日新聞社 1999  
資料19 朝日新聞縮刷版 1999/7
  朝日新聞社 1999  

調査したWEBサイトのURL

  1. トリコネ ~東京都立大学の学生と卒業生が運営する都立大の情報サイト~
    https://toritsu-connect.com/infomation/university-name-hange/history_of_relocation_old_tmu/)(外部リンクに遷移します)
  2. 東洋経済オンライン 「学芸大学」「都立大学」駅名を変えなかった理由
    https://toyokeizai.net/articles/-/246058)(外部リンクに遷移します)
  3. 日本駅巡り紀行 都立大学駅
    https://ekimeguri.ninja-web.net/lines/private-kanto/tokyu-toyoko/06.html)(外部リンクに遷移します)
  4. ウィキペディア 五島慶太
  5. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B3%B6%E6%85%B6%E5%A4%AA)(外部リンクに遷移します)