碑文谷村を構成する10区をそれぞれ色分けし、区界を朱線で表わしています。地図には主な建物、例えば、神社仏閣、学校・幼稚園、映画館などが表記されています。「八雲小学校」「碑小学校」「洗足高女」の文字も見えます。東横線は丸子多摩川から渋谷間が開通したのが、昭和2年8月でしたので、この地図刊行時には未開通でしたので、線路の線が記載されているだけで、駅の記載はなく線路に沿って「横浜電鉄」の記載があるのみです。また、八雲中央図書館の敷地にあった都立大学、その前身の府立高等学校は、昭和4年創設ですので、この地図に記載はありません。この地図と、次に紹介する「衾第一耕地整理組合地区換地確定図」とで収録地域の一部、柿の木坂周辺が重なりますので、この地図が刊行された大正15年と区画整理後、昭和8年頃の「換地確定図」を比較することによって、道路がどう変わったかなど、この間に実施された区画整理の結果がはっきりとわかります。
また、画像が薄くて見づらいのですが、地図裏面には「碑衾村勢一覧」とあり、「村治沿革」「地勢位置」に始まり、戸数・衛生・教育・財政・村議会など、現在の区政概要と変わらぬ内容が記載されているほか、最下段には、当時村にあった「活動常設館(映画館)」、寄席の数なども記載されています。
(参考文献:「目黒区史 第3版」前掲)
古地図をみる
⑥荏原郡目黒村全図
⑧碑文谷耕地整理組合地区換地確定図