当時、目黒不動(龍泉寺)は、「運の神」とも称せられ、また病治癒祈願も盛んで、江戸庶民の信仰の対象になっており、大行楽地であったといいます。また、文化9年からは富くじ(現在の宝くじのようなもの)興行も行われたそうです。ちなみに、江戸期、黄表紙(洒落と風刺を織り交ぜた絵入りの物語本)登場の記念碑的作品とされる、恋川春町(こいかわ はるまち)作・絵の「金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)」《安政四年(1775)刊行》の舞台が目黒不動の門前の茶屋でした。 主人公金兵衛が「繁栄の都へ奉公をかせぎ、世に出て思うままに浮世の楽しみをきわめんと思いたち」片田舎から江戸への道すがら「運のほどを祈らん」と詣でようとしたのが「運の神」、目黒不動尊でした。金兵衛空腹のため、門前の茶屋で一服、注文した名物の「粟餅」を待つ間に寝込んでしまい夢を見ることになるわけですが、このことからも目黒不動が江戸の人々にいかに馴染みの場所であったかがわかります。(「金々先生栄花夢」の引用は「江戸の戯作絵本 1 現代教養文庫」より)(B10782659) その目黒不動を左上部に配し、不動への道筋が描かれています。道筋には、「松平讃岐守」の上屋敷、「細川越中守」の下屋敷など時代劇でも聞いたことがあるような大名の屋敷も描かれています。色彩もきれいで、切絵図の約束事(神社・仏閣、町屋などの色の使い方、大名屋敷の印―御紋、■、●)のとおりで、とても見やすい切絵図です。なお当時切絵図は、実用としてだけではなく、江戸土産としても大いに人気があったといいます。 この画像は、国立国会図書館が所蔵する原図を、岩橋美術が複製刊行したものを利用しましました。なお、この複製は、10×17cmの上下左右から折りたたみ上下に表紙を付けた仕様(「舗」)になっていて、携帯に便利なように製本されています。複製元(岩橋美術)によれば、「原寸・原色、折畳、和紙表紙、和紙封筒入という、板行当時の形と紙質にこだわった仕上がり」(同社ホームページより)とのことです。また、地図裏面には、地名・寺社名・人名の各索引が掲載されています。
(参考文献:「江戸東京学事典」 三省堂刊、1987年)
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①目黒六か村絵図
③東京大絵図