江戸時代の江戸の絵図(江戸図)には、江戸城が、「御城」「御城内」などと表記されていましたが、御維新後の明治4年刊のこの地図では、「皇居」と表示されています。大名屋敷は江戸時代のままあるようですが、前掲の「目黒白金辺図(全) 」で「「松平讃岐守」、「細川越中守」と表記されていた大名屋敷が、それぞれ「松平讃岐」「肥後」と、「守」が削除されて表記されています。しかし、上屋敷を表す御紋はそのままになっていますし、家名の記載の方法―道に面した正門の位置から家名を記すなど、江戸図の約束事を踏襲しているところも多く、この地図が明治期の刊行であることは、すぐにはわかりません。なお、地図記号を説明した「凡例」では、中屋敷を表す「■」と下屋敷を表す「●」の説明が黒塗りされて、判読不能になっています。また、左下に「官版」の文字も見えます、これも江戸期にはなかったものです。 淡い色彩で美しく彩色された地図上の海の部分に描かれた帆掛船が、何ともいえないのどかで平穏な雰囲気を醸し出しています。でも、その船の周りには、江戸防御のために嘉永6(1853)年に築造されたお台場(砲台、嘉永6年築造)という物騒なものもみえます。 この画像は、東京都公文書館蔵で所蔵する原図を、「東京市史稿 市街編 52 付図」 (東京公文書館刊行 1962)で複製されたものを使用しました。
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②目黒白金辺図
④内藤新宿