東京府は、「五郡八二カ町村を廃止してその区域を東京市に編入」することとし、その方針に基づき、目黒も昭和7年10月1日、旧荏原郡目黒村と碑衾町は目黒区として両村の区域は一つの行政区域を形成することになりました。(「目黒区史」 第四章 村から町へ)より) 目黒区が誕生するに伴い、目黒全域にわたり、それまでの村落や字(あざ―市町村内の区画の名)に代えて、新しい町や丁目が設けられましたが、一部の名は、小学校・郵便局・橋などの名として今も残っているものもあります。 地図を見ますと、現在町名として残っているものは、「鷹番」「碑文谷」「原」「柿ノ木坂」「大岡山」「中根」などが見つかります。小学校名で残っているものは、前記の六つから「柿の木坂」を除いた五つのほかに、「月光原」「向原」の二つのようです。旧目黒町と比べますと、町名がたくさん残っている分、学校名が少ないようです。旧目黒町のところでも記しましたが、旧碑衾町は旧目黒町に比べ字の数が多くありますが、それぞれの字の面積が小さいです。町名・学校名で残らなかったにしても、町会名で残った字もたくさんあります。「目黒区史 資料編」のこの地図を掲載したページの次のページの「町内会変遷一覧」(1106p)で見ることができます。 この画像は、「目黒区史 資料編」(前掲 1104p)のものを使用しました。
(参考文献:「目黒区史 第3版」前掲)
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⑨-1 旧字地図 目黒地区