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8 東京府荏原郡碑衾町大字碑文谷 碑文谷耕地整理組合地区換地確定図
耕地整理組合作成、縮尺二千四百の1、作成は昭和7(1932)年頃か、79×102cm、青地に白抜き印刷、地番入り、建物などの表記は学校のみ、書誌番号B10176779


東京府荏原郡碑衾町大字碑文谷 碑文谷耕地整理組合地区換地確定図

 換地確定図とは、耕地整理・区画整理、道路整備・線路敷設等のために、整理以前に保有していた所有権・借地権のある土地について、整理後に発生した土地の地形、所有関係の変更などを確定させるために作成した地図のことをいいます。目黒の場合は、震災後の人口の増加、宅地化の進行に対応するため、東横電鉄の開設計画、目黒川改修、環状線道路工事、学校誘致を契機に実施されたものが多かったようです。(「目黒区史」の「六 現代」、「第一章 農業の変化と衰退」が参考になります) また、「碑衾町誌」(碑衾町役場編刊行、書誌番号B 10748162、昭和7年10月刊)によれば、碑文谷耕地整理組合が設立されたのが、大正12年12月18日、換地処分認可年月日が昭和5年5月7日、組合解散予定年月日昭和7年12月末日とあります。地図自体に作成年月日の表記はありませんが、以上の記載からおおよその推測が可能です。

 当館では、次の換地確定図も所蔵しています。

「東京市目黒区衾第一耕地整理組合地区換地確定図」
 縮尺二千四百の1、55×79cm、白地に黒色印刷、地番入り、書誌番号B11848162

こちらは地図のタイトルが「東京市目黒区」となっていますので、このタイトルが地図の作成時期の推測の手掛かりになります。「目黒区」が誕生したのは、『昭和7年10月に東京市に隣接する荏原、豊玉、北豊島、南足立、南葛飾の5郡82町村を市に編入して新たに20区(目黒区を含む)を新設、旧15区に加えて35区の大東京市が発足した。(「江戸東京学事典」前掲)』 また、「碑衾町誌」によれば、同耕地組合の設立許可が昭和6年、換地処分認可予定年月日が同8年6月、組合解散年月日が同9年5月とあります。従ってこの地図の作成時期は、同8年あるいは9年ということになります。

また、この地図には、「環状七号路線予定線」「放射第十八号予定線」(現在の駒沢通り)「放射第三号路線予定線」(現在の目黒通り)の表記があり、道路整備が区画(耕地)整理の大きな要因であったことが察せられます。この地図は、柿の木坂一帯を対象としており、現在八雲中央図書館が立地する旧府立高等学校(昭和4年創設)も記載されています。(参考文献:「目黒区史 第3版」前掲)